がんと愛犬と私

がんサバイバーという生き方

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救急搬送はお断り

父が食べられなくなって1週間強。

 

tamozo24.hatenablog.com

 

大好きだった晩酌を全くしなくなり、1回の食事量も今までの4割程度。

・手のひら1杯ぐらいのおかゆもしくはごはん

・お椀半分弱の味噌汁の汁のみ

・煮物少々

・気が向くと小さなゼリー1つ

元々食の好みがはっきりしており、食べたくないものは頑として食べない。

特に野菜を食べたがらず、柔らかく煮た味噌汁の具も残す。

キッチンバサミで細かくしたり、好きな味付けにしたり

工夫しているが1口食べて合わないと残す。

昔から好きではなかったものは最初から手すら付けないこともある。

 

190台だった血圧が160台とやや下がっているのに気づき、

かかりつけ医に受診した。

ここ半月の経過を話すと転倒による硬膜下血腫を疑われ、

大きめの病院で頭部CTを撮ったが血腫はなし。

そして頸動脈が狭窄していることを指摘された。

血圧を下げることで脳への血流量が減っているせいかもということで

降圧剤が半錠になった。

 

ここまでが2月第1週の話。

 

第2週、私のがんの治療方針が決まった日の夜。

父の入浴時、あまり音がしないのが気になった。

父が入浴中はリビングで洗濯物を畳むなどして

できるだけ異常を早期発見できるようにしている。

声を掛けると眠そうな声で返答があった。

「溺れるから寝ちゃだめだよ!起きて!」

と声を掛けた。

その後、物音がしていたので良いかと思っていたら、

すぐに上がってきた父が「息苦しい」と訴えた。

顔色も悪く、血圧を測ると100代。

すぐに車いすに乗せてベッドに横にならせたが、

その後、1時間ほど息苦しさと心窩部の違和感が続いた。

手足先や唇の色は悪くないので酸素は取り込めている様子。

体の置き場がないのかしきりに寝返りを打っており、

心筋梗塞か消化管出血を疑う。

あまりに苦しそうなので病院行こうかと言ったが、

救急搬送だけはどうしても嫌だと。

何度聞いても「そんなことはせんでええ。」と言う。

母の時は意識がなかったから搬送したけれど、

明確に意思表示している父を無下にすることもできず、

見守るしかできなかった。

 

幸い時間の経過とともに症状が落ち着いたので

そのまま様子をみることにした。

 

翌朝方、目が覚めたので

天井にライトを向けながらそっと見に行ったら

よく眠っていたので一安心。

まるで夜勤の巡視みたいだなと思った。

 

起床してきた父は

「昨日の夜は苦しかった。」と言ってみたり

「そんなことがあったのか?」と言ってみたり。

1日の中でも記憶にムラが出てきた。

次に痛くなったら私が心配だから

絶対救急車呼ぶからねと念押ししておいた。

 

 

 

 

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