昨日、実家から帰宅前に母から渡された。
何とも昭和なハンドメイド副資材数点。
母は買わないだろうからおそらく伯母の遺品。
ゴミ置き場になっている部屋の入口近くに数週前から置いてあるのに気付いていた。
でも敢えて「これどうするの?」とは声を掛けなかった。
幼いころから培った術なのか、元々も持っていた気質なのか、
相手の行動から何をしてほしいかを先読みして行動してしまいがち。
母が転倒骨折してからその能力?を発揮してきたけれど、
気を遣った所で母の「察して」アピールがひどくなるばかり。
他の家族にもそれを要求しがちなので、
「やってほしいならちゃんと伝えないと以心伝心なんてありえなからね。」
と何度も言ってきた。
だから今回は言ってくるまで放って置いたのだ。
母:「これ、あんた使う?」
私:「・・・どっちでも良いけど。」
と言いつつハンドメイド資材だといつものような「捨て!」判断ができない。
自宅に持ち帰って確認したら左3点は変色や劣化もあって捨てるしかなさそう。
黒のゴムは使えるかな程度。
チロリアンテープは可愛いとは思うが、
好みではないのでお好きな方に譲るぐらいしかできないかなぁ。
これらが置いてあった部屋には時々母の私物が置かれるようになった。
服とか本とか。
私に捨てられるのは嫌なので自分で少しずつ捨て活をしているようだ。
来週、古布や古紙の回収があるのでまとめていたら、
母が置いたであろう本の中から惹かれるものを見つけてしまった。
両方とも頂き物だろう。
左の本には下さった方からのお手紙が挟んだままだった。
「どうせ捨てるなら読んでからにしよう。」
とお手紙も一緒に持ち帰ってきた。
お手紙は個人名もあるのでシュレッダー行き。
今日は少し時間があったので佐藤愛子さんの本を読んだ。
佐藤愛子さんの名前は知っていたけれど、
あのサトウハチローさんの妹さんとは・・・。
サトウハチローさんは作詞家で
「リンゴの唄」
「悲しくてやりきれない」
「うれしいひなまつり」
「ちいさい秋みつけた」
などを作詞された方である。
「時々出てくるカタカナのこの人はどんな人なんだろう・・・」
と思っていた。
でその妹の佐藤愛子さんの「そもそもこの世を生きるとは」は
今までの著書に書かれたものをテーマごとにまとめたものだった。
比較的字も大きくて読みやすく、数時間で読み終えることができた。
いくつか気になったものに付箋をつけておいたけれど、一番笑ったのはこれだった。
「こんなに一生懸命やっているのに」
全く女は生まじめである。その生まじめさで一所懸命、家庭づくりに邁進する。(中略)かくのごとく夫、子供、家庭のために尽くしているという自負が、その活動に勢いをつける。
「あたしはこんなに一生懸命やっているのに・・・・・」
という言葉が何かにつけて出る。(中略)
「あたし一人キリキリまいさせて、あんたたちはなによ!」
と怒る。しかしキリキリまいは彼女の勝手であって、いうならば好きでやっていることなのだ。好きでやっているキリキリまいにおつきあいを強要されるはたの者は、気の毒とよりいいようがないのである。
佐藤愛子著「そもそもこの世を生きるとは」株式会社リベラル社より引用
これを読んで母はどう思ったんだろうか。
いや本当に読んだんだろうか。
聞いてみたい気もするがめんどくさいことになりそうなので、
自分がそうなっていないかを振り返ることにしよう。
実家の捨て活も掃除も自分が好きでやっていることなのだ。