がんと愛犬と私

がんサバイバーという生き方

母との確執

今朝からちょっとフラッシュバック気味。

 

小学生の頃、家に帰るとおやつの横に4教科分のドリルが置いてある。折ってあるページを夕食までにやり、母が採点する。80点以下だと口を利いてもらえなくなる。一緒にお風呂に入っていても。謝るまで許してもらえない。

 

小学校高学年の時、母が入院した。たぶん腸炎?家事など手伝い程度しかしてこなかったので、学校から帰ってきて洗濯をし、見様見真似で夕飯を作った。何をどう作ったのかは覚えていない。数日後、退院してきた母が私に開口一番に言ったこと。「あんた、何にもやってないじゃない!!」

 

友達に母のことを愚痴ったら、その友達からその子の母親→私の母親で耳に入り、「あんた、学校で私のこと色々言ってるんだって?!」と言われた。話したその子の母親もどうかと思うが、それで自分を振り返るのではなく娘を責めるんだなと思った。

 

高校受験で母の希望する高校は落ち、私が行きたかった方に受かった。電話したらおめでとうもなく、ため息を付かれた。なんでそんな風なのと言ったら「電話してなんて言ってないじゃない。」と言われた。

 

小さい頃は母親がすべてだから、母の機嫌が悪いのは自分のせいだと思っていた。でも成長するにつれて納得できないことがたくさん出てきた。それでも母は私をコントロールしようとする。毎日ケンカ。ストレスで過食に走った。

 

レンジを使うとばれるからと冷凍の肉まんをエアコンの下に置いて解凍した。リンゴを食べたいけれど、芯が残るとばれるから庭に埋めたこともあった。

食べることが唯一の癒しだった。その分体重は増え、MAXで今よりも20㎏多かった。

 

太って入る服があまりない私に母は「もっと痩せて入ればいろんな服買ってあげるのに。」と言った。でもそれは母が選んだ服であり、私が選んできたものはすべて拒否だった。

 

そんな風だったから看護学校は県外に行き、そのまま就職してほとんど帰らなかった。帰省しても仕事があるからと1泊で戻った。一時は勤務表も送れと言われてメールしていたけれど、途中からしなくなった。どこまでも私の行動を把握しておきたかったんだと思う。

 

私にしていたのと同じことを母は姪にしてきた。兄嫁は10年ほど前に病気で亡くなっていて、母は孫の母親になろうとした。兄は何度も止めたけれど、それが母は理解できない。周りがどれだけストレスに感じているのかもわからない。何か言われれば「私ばっかり!」と言って泣く。姪っ子が「叔母ちゃんの気持ちがよくわかる・・・。」とぼやいていた。

 

今更変わることはないとわかっているが、近い関係だから遠慮がなく、今までのこともあってとても寛容になれない。

 

今日も午後から実家に行く。気持ち的にやばいかもと思っていたけれど、ブログにしたらちょっと落ち着いた。

今週末で物置部屋が片付けばGW中は少し休憩できそうなので・・・がんばってこようと思う。

 

 

 

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