がんと愛犬と私

がんサバイバーという生き方

看取りとは②

 

昨日は看取りに対する施設・ご家族・総合病院について私視点で書いてみた。

 

tamozo24.hatenablog.com

 

 

読んでいただいたらわかるようにすべてが「ご本人・ご家族の希望」による。

 

理由は介護保険法に定められているから。

介護保険法では、利用者本人の意向が非常に重視されています。特に、介護サービスの計画や提供において、利用者の意思や希望が尊重されることが重要です。

例えば、利用者がどのような生活を送りたいか、どのようなサービスを受けたいかといった具体的な希望が、ケアプランに反映されるように配慮されています。

利用者の自立を支援し、尊厳を保ちながら、本人の希望に沿ったサービスを提供することが介護保険制度の基本的な考え方です。

COPILOTにより生成

だから仮にスタッフ側が

(そこまでやったら本人がかわいそうでは・・・)

と思っていても、ご家族が希望したらせざるを得ない。

 

強く搬送を希望するご家族に

「ご自分だったらどうされたいですか?」

と聞いたことがあるが

「自分だったら何もしなくていい。でも親は搬送してください。」

と言われた。

 

こうなってしまう要因の1つに

「亡くなる」ことへのタブー視があると思っている。

生と死は一続きで、

生まれたときに唯一決まっていることは死ぬことだけなのに

あまりに「死ぬこと」=「悪いこと」と捉えられすぎではないだろうか。

医師の「亡くなる=負けと教育されてきた」という言葉が

それを物語っているような気がする。

 

私が仕事を辞める少し前から言われ始めたことがある。

それは「人生会議」。

一時、啓発ポスターで物議を醸したのでご存じの方もいるかもしれない。

私からするとあのポスターは「啓発」という意味では

ものすごく良くできていたと思う。

 

人生会議については厚労省のホームページに詳しく書かれている。

あなたは、「もしものこと」を 考えたことがありますか? (mhlw.go.jp)

ゼロからはじめる人生会議 | (kobe-u.ac.jp)

 

会議とかつくからちょっと身構えてしまうかもしれないが、

大切なのは自分がどんな最期を迎えたいか考え、

それを周囲と共有することだ。

話し合いをすることによって自分と向き合うことになるし、

家族の気持ちとの乖離も埋められるんじゃないかと思う。

 

私の場合、もしこの先、がんが全身に広がって1人で生活できなくなったら

・わんこがいるなら今の家で介護保険を使いながら過ごす

・わんこを見送った後なら施設に入る

私は病気が病気なだけに、人生の終わりをかなり意識している。

もちろん死ぬのはこわいし嫌だし、まだまだやりたいこともある。

でもいつかは終わりが来る。

動けなくなってからでは遅い。

医療介護に関する知識があるからというのもあるが、

住んでいる地域で自分が使えるサービスにはどんなものがあるか、

費用はいくらぐらいなのかなどを調べて、何となくの目星はつけている。

今現在の希望はこうだけれど、この先変わる可能性ももちろんある。

これはPDCAサイクルのように常に見直しを掛けていくものだと思う。

 

 

 

現場から離れてもう3年以上経っているので、

今はもっと変わっているかもしれない。

もし気になる点などがあればぜひコメント欄で教えてください。

皆さんの意見も聞いてみたいです。

「看取り」や「最期」について

もっと積極的に話ができるような世の中になればと思っています。

 

 

 

 

 

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