昨日は看取りに対する施設・ご家族・総合病院について私視点で書いてみた。
読んでいただいたらわかるようにすべてが「ご本人・ご家族の希望」による。
理由は介護保険法に定められているから。
介護保険法では、利用者本人の意向が非常に重視されています。特に、介護サービスの計画や提供において、利用者の意思や希望が尊重されることが重要です。
例えば、利用者がどのような生活を送りたいか、どのようなサービスを受けたいかといった具体的な希望が、ケアプランに反映されるように配慮されています。
利用者の自立を支援し、尊厳を保ちながら、本人の希望に沿ったサービスを提供することが介護保険制度の基本的な考え方です。
COPILOTにより生成
だから仮にスタッフ側が
(そこまでやったら本人がかわいそうでは・・・)
と思っていても、ご家族が希望したらせざるを得ない。
強く搬送を希望するご家族に
「ご自分だったらどうされたいですか?」
と聞いたことがあるが
「自分だったら何もしなくていい。でも親は搬送してください。」
と言われた。
こうなってしまう要因の1つに
「亡くなる」ことへのタブー視があると思っている。
生と死は一続きで、
生まれたときに唯一決まっていることは死ぬことだけなのに
あまりに「死ぬこと」=「悪いこと」と捉えられすぎではないだろうか。
医師の「亡くなる=負けと教育されてきた」という言葉が
それを物語っているような気がする。
私が仕事を辞める少し前から言われ始めたことがある。
それは「人生会議」。
一時、啓発ポスターで物議を醸したのでご存じの方もいるかもしれない。
私からするとあのポスターは「啓発」という意味では
ものすごく良くできていたと思う。
人生会議については厚労省のホームページに詳しく書かれている。
あなたは、「もしものこと」を 考えたことがありますか? (mhlw.go.jp)
会議とかつくからちょっと身構えてしまうかもしれないが、
大切なのは自分がどんな最期を迎えたいか考え、
それを周囲と共有することだ。
話し合いをすることによって自分と向き合うことになるし、
家族の気持ちとの乖離も埋められるんじゃないかと思う。
私の場合、もしこの先、がんが全身に広がって1人で生活できなくなったら
・わんこがいるなら今の家で介護保険を使いながら過ごす
・わんこを見送った後なら施設に入る
私は病気が病気なだけに、人生の終わりをかなり意識している。
もちろん死ぬのはこわいし嫌だし、まだまだやりたいこともある。
でもいつかは終わりが来る。
動けなくなってからでは遅い。
医療介護に関する知識があるからというのもあるが、
住んでいる地域で自分が使えるサービスにはどんなものがあるか、
費用はいくらぐらいなのかなどを調べて、何となくの目星はつけている。
今現在の希望はこうだけれど、この先変わる可能性ももちろんある。
これはPDCAサイクルのように常に見直しを掛けていくものだと思う。
現場から離れてもう3年以上経っているので、
今はもっと変わっているかもしれない。
もし気になる点などがあればぜひコメント欄で教えてください。
皆さんの意見も聞いてみたいです。
「看取り」や「最期」について
もっと積極的に話ができるような世の中になればと思っています。