実家で鉢の植え替えをしてきた。
父は若い時から蘭の栽培が趣味。
庭は父の聖域なので今までほとんど触ったことがなかったのだが、さすが90代。
ツッコミどころ満載で面白かった。
スコップがなぜ7本もあるのか。しかも1本は反っていて使えない。
ほぼ切れないハサミが5丁。こんなに要らんだろう。
私が植え替えをしていると、土受けにと古い洗い桶が3つも登場した。
本人は私の助けになろうと一生懸命なのはわかっているのだが、もう笑えて笑えて。
施設で高齢者の方をケアしている時、こんな感じだったなと思った。
母はと言うと、実家に着いたときには立って洗濯物を干していた。
10分ぐらい立っていると痛みが出てくるので、車いすに座って休む→数分すると楽になるのでまた家事をするという状態らしい。
かなり良くなっているが、また転倒して骨折するリスクは十分に高い。
整形外科でも医師に「足が折れていなくてよかったね。」と言われたらしい。
ほんとそれ。
昼食時、家族全員が集まっている時に介護認定の申請を提案した。
最初、母は拒否し「この状態じゃ認定は下りない。」と言った。
この反応は想定していたので、
・認定が下りなかったらそれはそれで良い
・要支援でも付けば、手すりを付けたりするのに介護保険が使える
・何か起きてからより先に手を打っておけば、家族への負担も少ない
・家で自立して過ごすためにも介護保険は使っていい
等々、今まで知識と経験を総動員して説得した。
一番効いたのは「家族負担の軽減」だったようだった。今回は家庭内クラスターだったので私が手伝いに行けず、一番がんばってくれていたのは高校生の姪だった。これから受験生にもなるのに、祖母のために時間を割いて家事をさせるのはかわいそうだと言ったら納得できたようで、「お願いします。」と言ってくれた。
今でこそパワーダウンした母だが、若い頃は自分の価値観が正しく、自分に合わないものはすべて悪認定する人だった。クラシック以外は不良の音楽、テレビも基本NHKとアニメのみ。お笑いやドラマなんてまず見せてもらえなかった。小さい頃は母がすべてだから、母の機嫌が悪いのは自分が悪いことをしたからだと思っていた。私が小さい頃はそれで通用したけれど、だんだん外の世界を知れば自分の母が変わっていることに気付く。中学・高校では毎日親子喧嘩が勃発していた。私は母から逃れたくて県外の看護学校に進学、そのまま就職した。離婚とがん闘病で地元へ帰るまで、忙しいことを理由に年に1回も帰省しなかった。自分が理解できないことを私がしているのを見て、機嫌の悪くなる母を視界に入れたくなかったし、口も出されたくなかった。
私の中で母に対する確執が和らいだのは、やっぱり母が老いたからだと思う。ここ数年で一気に背中が曲がり、小さくなった。それと母であろうが家族だろうが、自分以外は他人だということを意識するようになったからだと思う。
伊藤比呂美さんという作家さんが書かれた「女の一生」という本にこんな文があった。
母は娘を食いたくて仕方なかった。母は娘を大切に思えば思うほど、呪いをかけてそれを食ってしまうという運命を背負っていました。それで娘は呪いをかけられたまま、命からがら魔女の森を飛び出した。それから数十年。魔女は最後の最後で呪いを解く呪文を思い出し、呪いを解いて死にました。
これを読んだとき本当に泣いた。
「そうか、あれは呪いだったのか。」と腑に落ちた。
この文章には母娘の全てが詰まっている。
今でも母の機嫌の悪そうな顔を見るとビクビクする。でも呪いなんだと思うことで引きずらなくなった。母親でも他人。他人の感情まで背負わなくて良いと自分に言い聞かせている。
これだけ母に対しては色々思うのに、父に対してはなんとも思わない。
不思議。
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