がんと愛犬と私

がんサバイバーという生き方

捨て活記録②

捨て活がエンタメに近い私だが、とっっっても捨てにくい物がある。

それは「顔がある物」。

 

どうしてそう思っていたのかはわからないけれど、小さい頃から「すべての物には心があって何かしら思っている」と信じていた。身の回りにある物を人扱いして友達に「人じゃないけどね。」と突っ込まれることもしばしば。

人扱いしているため物が捨てられない。結婚前に住んでいた2LDKでは、1部屋が物であふれ掃除もままならなくなっていた。今思うとまさに汚部屋。

 

捨てスイッチが入ったのは離婚して地元に帰ろうと決めたとき。物を減らさないと引っ越し代もかかるし広い部屋も必要になる。コロナで外出制限が掛かっていたことも捨て活に拍車をかけた。地元に帰ってきてからもそれなり捨て続けてきたので、今残っている物は「今まで捨てられなかった物」になる。

 

顔がある物の代表と言えばぬいぐるみ。実家から出る時に数を減らし、離婚するときにすべてを処分。本当は人形供養に出したかったけれど時間がなく、せめてとお清めの塩を振って新聞紙で包み可燃ごみに出した。

 

そして、今現在家に残っている顔のある物はというと

 

柴率多めな手ぬぐいたち。わんこがうちに来てから買い集めた影山直美さんのおかげ犬シリーズと手ぬぐい作家さんの作品。

上2枚は夏の散歩時にアイスノンを巻いてわんこの冷え冷えマフラーに使っていた。下2枚は食器拭きとして使用。どれもかわいくてお気に入りだけれど、汚れも目立つし色も褪せてきた。洗濯するたびに、トキメキ感よりも切ないような申し訳ないような気持になる。

まず上の2枚を掃除用のウエスを入れる袋に入れた。そうしたら残りの2枚も決心がつき、掃除用にできた。きっと私の中で物としての役目は終わっていたのだけれど、顔があるがゆえになんとも言えない気持ちになっていたのだろう。特に柴だし。

柴つながりで言えば

 

 

姪っ子が小さい時にガチャガチャで取った柴とチワワ?これもうちには合わないし、物があると掃除がしにくいのでお別れした。

 

新しく使われることになった食器拭き

 

これも数年前に買って大事に仕舞われていた。しかもハンドメイド資材の棚で。ブログを書いているとそういうものが如何に多いか気付く。

物は仕舞ったままにしておくと存在を忘れるし、気づいたら劣化していることも多々ある。せっかく買ったのなら使わないと逆に代金がもったいないかもとやっと最近思えるようになった。

 

どんなに切ない気持ちになりながら捨てても、時間が経てば平気になる。目の前にあるときの方が辛かったかも。それならさっさと処分して気分よく過ごした方が良いに決まっている。

次は何を処分しようか。

 

 

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