クリスマスイブにくも膜下出血で搬送された母。
その後の容体は医師に
「想定した中で一番良い状態」
と言われている。
兄からの聞いた面会時の様子
12/25:声掛けに反応なく、時々苦痛表情あり
人工呼吸器抜管・麻酔薬減量
12/26:開眼しており、声掛けに頷きあり。
「みんな待ってるよ。」に対し「待ってる」とオウム返し。
12/27:両腕抑制されており、
「これ取って」としきりに訴える。
おそらく何か管を抜こうとしたのか抜いたのか・・・。
最悪のことも想定していたし、
右前頭部を手術したので失語が残るかもと思っていたが
その生命力と回復力にただ驚いている。
「行きたくないかもしれないけれど、
副作用が落ち着いたら面会に行ったらどうだ。」
と兄に言われた。
でも。
どうしても。
行く気にならない。
ブログを読んでくださっている方はご存じだろうが、
私は母に対し解消しきれない確執を抱えている。
過干渉で、母の基準から外れること=悪いこととして刷り込まれた。
私のためと言いつつ、そのほとんどは「母のため」だった。
だから看護学校進学で県外に出てから20年ちょっと、
実家には年1回帰るか帰らないかだった。
それでちょうどいい状態を維持してきた。
でも私のがん発症と離婚で地元に戻ることになり、
今年春先の母の転倒骨折で距離が一気に近づいた。
その結果、最終的にこうなった。
この時から私は母からのLINEを非通知にし、
連絡が来ても一切返さなかった。
もう関わりたくないと心底思っていたし、
やっぱり実家は心が休まらない場所だと再認識した。
写真を整理したとき、残した写真の中に母はいなかった。
正確には母方の祖父母と一緒に写っていたから残したものが1枚だけ。
それに気づいたとき、
(ああ・・・そこまでなんだな。)
と自覚した。
でも娘である以上、いつかは母と向き合わなければならない時が来る。
それまでに私はどういう心づもりでいるのが良いのか。
いつかくるその時にどうするのが良いのか。
何かヒントを得たくて本を読んだ。
著者の下重さんも家族に対し複雑な感情を持ち、苦しんできた。
これは特別なことではなくどこの家族にでもあることで、
みんな隠すのが上手なだけなのかもしれない。
今回、母が倒れても私の気持ちは全く変わらなかった。
本音を言ったらこのまま会えなくなっても後悔はない。
春先から抗がん剤再開まで、私は実家のために思い付く限りのことをやった。
あの半年でもう十分やりきったと思っている。
母のことは病院の皆さんがやってくれる。
私は私にしかできないことをやらなくてはならないし、
自分のためにも時間を使いたい。
だからやっぱり面会は行かない。
これを文章化しておかないと
きっと何かの拍子に「母親を大事にしないなんてひどい娘だ」と
自分で自分を責め立ててしまうような気がする。
「私は」
「私を」
「最優先に生きて良い」
それでいい。