がんと愛犬と私

がんサバイバーという生き方

子供がいなくてよかったと思うこと

今日の記事はちょっと重い内容かもしれません。

私自身は文章化できて吹っ切れてきたんだなと思っていますが、

重く感じさせてしまったらごめんなさい。

 

 

あれから1か月が経過した。

 

tamozo24.hatenablog.com

 

この記事から2週間ぐらいはまだイライラしていたが、

ここ最近はとても心穏やかに過ごしている。

実家に行くことがやっぱり相当ストレスだったようだ。

 

母からのLINEは通知オフにしてある。

誕生日と杖購入の件でLINEが来ていたが、既読スルーした。

娘なのに冷たいかもと思うが、

家族だから絶対仲が良くなくてはいけないわけではないとも思う。

身内と言ったって所詮は他人。

自分とは別の人間だ。

 

母方の祖母はかなりな性格の人で、

夫婦喧嘩では食べ物の入った鍋が飛び、

「あんたはできない子だ。」と子供への否定もすごかったらしい。

祖母が亡くなって10年以上経つが、母はいまだに祖母のことを言う。

「あの時、おばあちゃんは○○だった。」

「あの時、おばあちゃんにあんなこと言われた。」

(まんまあなただけどね。)といつも思う。

この祖母とあの母の血を継いでいる私も

もしかしたらそういう母親になっていたかもしれない。

そう考えると子供がいなくてよかったなと思う。

 

私は20代半ばから卵巣チョコレート嚢腫があった。

一番の治療法は妊娠だったので、早く結婚して子供を産みたかった。

元夫は結婚したくない人だったので、

一度お付き合いをした後、結婚したいからと別れた。

1年ぐらい後に

「tamozoの体のことを考えて結婚してもいいかなと思う。

だからやりなおしたい。」

と言われてよりを戻した。

 

でもその数年後、結婚していざ子供を作れる状況になったら

「そういう気分じゃなくなった。」と言われた。

ここで元夫に対する信頼は音を立てて崩れたのだが、

私はそれを認められず、結婚生活を続けていた。

2回目の腹膜炎で入院した時、担当医に

「最悪、がんになることもあるからね。」

と言われ、それも元夫に伝えたが、何も言わなかったし変わらなかった。

そして卵巣がんになった。

結局、私は自分に子供ができるのかできないのかもわからないまま、

卵巣と子宮を摘出した。

がん治療をしながら離婚調停をしていた時、調停員を通して弁護士から

「元夫がtamozoのがんがショックで立ち直れないと言っていた。」と聞かされた。

(お前がショックを受ける資格はない。)と思ったし、

(一生後悔しながら生きていってほしい。)と思っていた。

 

離婚して数年経った今、やっと元夫に何も思わなくなった。

もう私の人生には関係ない人だと思うようになった。

子供がいないから顔を合わせることもない。

そういうことを考えても子供がいなくてよかったと思う。

 

 

子供がいたらいたで楽しいこともたっっっっくさんあったと思う。

きっとかわいくてかわいくてたまらなかっただろうな。

犬でこんなにかわいいんだから。

きっと私は犬に愛情を注ぐ星の元に生まれたんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ